2018年に亡くなった女優の樹木希林さん。
一人娘の内田也哉子さん(エッセイスト・翻訳家)を1歳半からインターナショナルスクールに入れ、9歳でニューヨークへ単身留学させ、高校はスイスへ留学させました。
また希林さんは、国民的大女優でありながら、「物を買わない・もらわない・持たない生活」と「玄米菜食」を実践されていました。
このブログ記事では、
- 樹木希林さんの子育てエピソード
- 樹木希林さんのグローバルな子育て
- 樹木希林さんのミニマリストな子育て
- 樹木希林さんの食育
についてまとめます。
樹木希林の子育てエピソード
樹木希林さんは1964年(昭和37年)、21歳のときに文学座同期の俳優・岸田森さんと結婚しましたが、1968年(昭和41年)に25歳で離婚。
1973年(昭和48年)、30歳のときにミュージシャンの内田裕也さんと再婚したものの、毎日のように大喧嘩が続き、結婚後1年半で別居生活に。
1976年(昭和51年)、33歳で一人娘の也哉子さんを出産し、実質シングルマザーとして育てました。
そんな樹木希林さんの、凡人にはビックリの子育てエピソードを紹介します。
9歳で娘・内田也哉子を単身ニューヨーク留学に
内田也哉子さんは小学生のとき、東京の西町インターナショナルスクールに通っていました。
インターの校長先生の弟家族がニューヨークの田舎町に住んでいて、校長先生は也哉子さんに、弟家族のもとでのホームステイをすすめたそうです。
留学を決めた也哉子さんは、母の樹木希林さんとともに渡米。
ホストファミリーに挨拶して、その家の子どもたちと近所に遊びに行って戻ると・・・
既に母の希林さんは、いなくなっていたそうです!
「也哉子元気でね」などという言葉は一切なく!
また希林さんは、也哉子さんへ1年間手紙をほとんど出さなかったとか。(※)
私が子どもを留学させるとしたら、心配でたくさん連絡をとってしまうだろうなあ。ましてや小学生だと、そこまで全幅の信頼を寄せられないと思うんですよね。
希林さんも、本心では随分心配していたそうですが・・・
本人を信頼し、ホストファミリーや学校に任せた樹木希林さん。肝が据わっていて本当にすごいと思います。
※:内田也哉子, 志村季世恵『親と子が育てられるとき Quiet Garden』岩波書店, 2002
「ひとりで生きて行きなさい」と自立を促す
樹木希林さんは、掃除でも料理でも、1回だけ内田也哉子さんに教えたそうです。
ガミガミああしろこうしろということはない代わりに、たった1度だけで2回教えることはない。
也哉子さんは、1回で覚えきるために、希林さんの言葉をよく聞いて、動作をよく見て・・・
まるで職人の修行のようだったと振り返っています。
また、勉強しろと言われたこともないし、門限を言い渡されたこともないのだとか。
私は毎日子どもたちに「勉強しろ~」と言ってるので、希林さんすごい!
也哉子さんにとって希林さんの教育は、「ひとりで生きていきなさい教育」だったそうです。(※1)
でも也哉子さんは、子どもながらにして全て自分で決めるのは大変で、「自由ってなんて苦しいんだろう」と思っていました。(※2)
そこまで自分で考えさせるのが、希林さん流の子育てだったのでしょうね。
- ※1:週刊文春 2021年5月27日号
- ※2:2021年6月25日 NHK 読むらじる「内田也哉子 娘として母として考える家族のカタチ(前編)」
おもちゃも服も買わない育児
内田也哉子さんは、
- 中学生になるまで服を一度も買ってもらったことがなかった
- おもちゃも買ってもらったことがなかった
- ハサミが家の中に1本しかなかった(※1)
- 洗剤を使っていなかった(家に洗剤がなかった)(※2)
と、子ども時代を振り返っています。
戦後まもなくの話ではありませんよ?日本経済に活力があった1980年代の話です。
樹木希林さんは「物を買わない」「物をもらわない」「物を持たない」というライフスタイルを大事にしていました。
洋服は、希林さんが周りの女優さんからいただいた「お下がり」。
また、女優の家なのにテレビもなく、あったのは数冊の絵本だけだったとか(※3)
女優のおさがりの服は素敵だと思いますが(笑)、おもちゃを買い与えず、テレビもない育児って、どうやったらいいのか想像もつきません(汗)
也哉子さんは「おもちゃの代わりにいろんな家財道具で遊んだりと、ないないづくしで、ないものの中から自分で発想して遊びを生み出していきました」と語っています。
- ※1:内田也哉子,中野信子『なんで家族を続けるの? 』文春新書,2021
- ※2:MOVIE Collection「本木雅弘と樹木希林が婿姑トークで2世帯住宅での私生活暴露」
- ※3:2021年6月25日 NHK 読むらじる「内田也哉子 娘として母として考える家族のカタチ(前編)」
お年玉は「返してきなさい」
有名女優の一人娘であるにもかかわらず、質素な環境で育った内田也哉子さん。
高校生の冬休みに、母・樹木希林さんの芸能人仲間にバッタリ会ったそうです。
そしてそのときお年玉をもらい、中身を見たら3万円ほど入っていたとか!
金額の多さに驚いて、希林さんに見せると・・・
希林さんは「今すぐその人の所に行って返してきなさい」と厳しく言い放ちました。
そして希林さんは、「お年玉は玉だから、こんな札でくれてやるな!」と、その芸能人仲間にも怒ったそうです。
高校生に玉って・・・500円玉とか?いくらなんでもそれは・・・・
也哉子さんは、お年玉のことを希林さんに「言わなきゃよかった」と後悔したそう。そりゃそうですよね^^;
※:2021年10月12日スポニチAnnex「内田也哉子さん 高校時代に知ったお金の大切さ 芸能人からのお年玉に母・樹木希林さんが『くれてやるな』」
樹木希林のグローバルな子育て
樹木希林さんが娘・内田也哉子さんに与えたインターナショナルな教育についてまとめます。
娘・内田也哉子の留学歴
内田也哉子さんは、1歳半でインターナショナルスクールのプリスクールに入学。
その後、東京・港区の老舗校「西町インターナショナルスクール」に入学します。
9歳のときには、1年間単身でニューヨークに留学し、ホームステイを経験。
そして高校2年生のときには、スイス・ジュネーブに留学しました。
ジュネーブの高校を卒業した後は、パリやニューヨークで暮らし、帰国後19歳で本木雅弘さんと結婚しています。
<内田也哉子さんの留学歴について詳しくはコチラ↓↓↓>
娘を留学させた理由
樹木希林さんが内田也哉子さんを海外留学させた理由は、2つあると思います。
理由1:有名芸能人夫婦だったから
内田也哉子さんがインターナショナルスクールに入学したのは、父・内田裕也さんと母・樹木希林さんが離婚裁判をしていた頃
家の近所の幼稚園に「芸能人でしょっちゅう騒がれている人の子は預かれない」と言われてしまいました。
そうした理由で、日本の芸能界に興味ない人(=外国人)が多いインターを選ばれたのだそうです。(※)
その後、也哉子さんが高校時代に海外留学されたのも、日本のマスコミに注目されて過ごすより、海外の方がのびのび勉強や生活ができるという考えがあったのではないでしょうか。
※:内田也哉子『9月1日 母からのバトン』ポプラ社,2019
理由2:究極の「ひとりで生きていきなさい教育」
樹木希林さんが娘を留学させた理由は、「ひとりで生きていきなさい教育」の延長にあると思います。
私も含め、英語育児に取り組む親、子どもを留学させようとしている親は、「子どもに外国語を習得させて、日本に留まらない広い世界を見てほしい」と願っている人が多いと思います。
でも希林さんには、そうした「英語育児にありがちな親の思考パターン」が、ほとんど感じられません。
希林さんは、也哉子さんと本木雅弘さん夫妻が、長男の雅樂(うた)さんに過干渉になっているのを見て「とにかく一刻も早く海外に出しなさい」とおっしゃいました。(※)
しかし希林さんの場合は、英語や海外というのは結果論であって、「親の庇護のもとから離れて、自分で考えて生きる経験を積む」ことを、何より重視しているように思います。
※:内田也哉子,中野信子『なんで家族を続けるの? 』文春新書,2021
インター保護者としての樹木希林さん
内田也哉子さんが通った西町インターナショナルスクールの保護者の条件は、「英語でコミュニケーションできる必要あり」。
はたして樹木希林さんは、英語ができたのでしょうか?
答えは「No」。
娘の内田也哉子さんは、次のように語っています。
母は送り迎えくらいはしてくれたでしょうけど、学校の行事のようなものには一回も顔を出しませんでしたね。
母は英語が分からないから、学校はあなただけの世界だと思いなさいって最初から言われました。
通信簿も英語だから、母は見もしない。私が自分でサインして先生に返したりしてましたよ。
週刊文春 2021年5月27日号
希林さんはインター保護者でしたが、学校行事に顔を出さず、英語の配布物もあまり見なかったようです。
こうしたエピソードから考えても、樹木希林さんは「英語」「海外」にこだわりはなく、「ひとりで生きていく」体験をさせるために一番よい手段として、也哉子さんを海外留学に送り出していたように思えます。
樹木希林のミニマリストな子育て
樹木希林さんの徹底したシンプルライフのもと育てられた娘・内田也哉子さん。
脳科学者・中野信子さんとの対談で、也哉子さんが「教えてください。私の人生はこれでよかったんでしょうか」と尋ねる場面が、とても印象に残りました・・・
中野さんによると、脳科学の観点からみると、「できるだけ物を持たず、少ない物を何通りもの用途に使う」ことは、創造性を伸ばすのだとか。
樹木希林さんの子育ては、創造性を育てるためにとても効果的な教育だと絶賛しています。(※)
その話を聞いて、也哉子さんは、
そうなんですね。私の暗い過去がちょっとだけ報われた気がします。
でも、極端すぎるのも、やっぱりちょっとトラウマティックというか。
と答えました。
近年、「断捨離」「ミニマリスト」という言葉が流行り、物を持たない暮らしに脚光が当たっています。
物を持たないことでゴミが減りますし、エコロジカルで持続可能な暮らしは、子どもたちの将来のためにも大切なこと。
でも、子どもは無秩序で雑多な環境の中から、自分で選んで、考える力を育み、秩序や論理を身につけていきます。
親があまりにストイックにミニマリスト道を極めると、子どもが本来持っている躍動感、生き生きした学びを、抑制してしまうかもしれません。
- 効率的でエコロジカルな「物を買わない・もらわない・持たないライフスタイル」
- 多様性のある、雑多でリラックスした環境
この両軸の間で、バランスをとることが大事であるように思います。
※:内田也哉子, 中野信子『なんで家族を続けるの? 』文春新書, 2021
樹木希林の食育
樹木希林さんの食事は、基本的に玄米菜食でした。
子育てにおいて、内田也哉子さんにああしろこうしろと言うことはありませんでしたが、唯一食事だけはとても気をつけていて、外食をせずに家で食べていたそうです。(※1)
也哉子さんによると、「“玄米菜食”にこだわっていて、本当に質素なご飯でしたけれどたくさん作ってくれました」とのこと。(※2)
また、NHKの番組で子育てについて
教育は私にはできないけども、体力だけはつけておけばせこいことを考えないで粘り強くなる、そのために食べ物だけは気を付けている、基本は米・醤油・砂糖・塩・味噌よ。
と語っていました。
玄米食は1970年代、独身時代から始められ、白米派の夫・内田裕也さんに「ロックンローラーが玄米食えるか!」と言われていたとか・・・(※3)
希林さんは食に関しても、「シンプルであること」「本質的であること」を徹底されていたようです。
- ※1:2018年9月22日 東洋経済ONLINE 不登校新聞「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」
- ※2:2021年9月25日 東京FM「内田也哉子『父母兼任で、ときには姉妹のように…』母・樹木希林との当時の生活ぶりを振り返る」
- ※3:2019年10月8日 婦人画報「ご自宅で再確認!樹木希林さん流“始末のいい”暮らし」
まとめ
この記事では、樹木希林さんの子育てエピソードを紹介し、娘の内田也哉子さんに行った「グローバルな子育て」「ミニマリストな子育て」「食育」についてまとめました。
也哉子さんをインターナショナルスクールに入れ、海外留学を経験させ、グローバルな学びと自立した生き方を促した希林さん。
一見突き放した子育てのようにも見えますが、希林さんは次のように語っています。
人を頼まないでやるってことは大変ですよ。それが本当の子育てなんですよ。
へたへたになって帰っても、ご飯つくってやるということがね。これがなかったら、私、役者をやっててもしょうがないと思って、がんばっているんですけどね。
(役者よりも子育ての比重が)そりゃ大きいですよ。だから、役者やったときに、ひとつのせりふで胸に来るんですよ。
樹木希林さんは、役者であることより子育ての比重の方が大きいと語っています。
- 自立させるために見守る(ひとりで生きていきなさい教育)
- そのために基本となる体力をつける(食育)
実はこうした子育ての方が、つきっきりで手を掛けるような子育てよりも、親が「心のチカラ」を使うのかもしれません。
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