【芸能人の英語育児】樹木希林の生い立ちと子育て~娘を9歳で単身留学させた生き方の哲学を名言から紐解く~

晩年の樹木希林さん

(画像出典)毎日新聞2018/9/16

こんにちは!子供英語教材ナビゲーターのすみれママ(@sumire_mum)です。

2018年に亡くなった女優の樹木希林さん

国民的大女優でありながら、徹底した「物を買わない・もらわない・持たない生活」をされていました。

そんな希林さんは、一人娘の内田也哉子さん(エッセイスト・翻訳家)を1歳半からインターナショナルスクールに入れ、9歳でニューヨークへ単身留学させ、高校時代はスイスへ留学させています。

このブログ記事では、

  • 樹木希林さんの生い立ち
  • 樹木希林さんのグローバル育児と子育て哲学
  • 樹木希林さんの徹底シンプルライフ
  • 「物を買わない・もらわない・持たない」ミニマリスト生活が子供に与える影響

などを、樹木希林さんの数々の名言や娘・也哉子さんの著作本・対談・インタビューなどから紐解いてみたいと思います。




1)樹木希林さんの生い立ち~若い頃、結婚から死去まで~

まず、樹木希林さんのルーツと、若い頃の歩みを紹介します。

 

● 戦時下に生まれて

樹木希林さん

(画像出典)東京新聞

樹木希林

  • 生年月日:1943年(昭和18年)1月15日
  • 没年月日:2018年(平成30年)9月15日 死因は全身がん(享年75歳)
  • 本名:旧姓時は中谷啓子、結婚後は内田啓子
  • 別名義:悠木千帆(デビューから1977年(昭和52年)まで)

希林さんのお母さんの中谷清子さんは山口県生まれ。

10代にして広島で女児を、22歳のとき京都で別の男性と男児をもうけましたが、どちらも事情により養子等に出さざるを得ず、清子さんは単身東京へ向かいます。(※1)

清子さんは神保町にカフェー「東宝」を開店し、客として来ていた7歳年下の警察官・辰治さんと結婚。翌年に希林さんを出産しました。

戦争中辰治さんは兵隊にとられ、中谷家は何度も住む場所を変えながら暮らし、終戦時には店も家も全てを失ったそうです。

「見渡すかぎりのバラックのなかで、幼少期をすごしました」と語る希林さん。(※2)

焼け跡の中、希林さんの母・清子さんが商才を発揮し、仕立屋から飲食店まで経営して一家を支えます。

一方、父・辰治さんは趣味の薩摩琵琶にのめりこんでいきました(後に錦心流のプロ奏者・中谷襄水として多くのお弟子さんを迎えます。希林さんの妹・荒井姿水(昌子)さんも薩摩琵琶奏者です)

希林さんはご両親のことを「愉快な人」と話し、「父はお酒がまったく飲めず、母は大酒飲みで、ちいさい頃、酔っ払った母を担いで帰ってきたのを思い出します。とても仲のよい夫婦でした」と述懐しています。(※3)

※1:NHK総合 2018/9/24 ファミリーヒストリー選「樹木希林~女が土台 受け継がれる覚悟~」より

※2:不登校新聞2018/9/22「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」より

※3:キネマ旬報WEB 2019/3/18「希林の知られざる家族のこと、幼いころの秘密」より

 

● 千代田女学院から文学座、そしてドラマ出演へ

若い頃の樹木希林さん

若い頃の樹木希林さん
(画像出典)キネマ旬報WEB

樹木希林さんは、東京の私立女子校である千代田女学園中学校から、千代田女学園高等学校へ進学します。(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)

在学中から演劇部に所属し、卒業後の1961年(昭和36年)、文学座第一期生として付属演劇研究所に入所。ちょうどその年に、戦後初めて三大劇団(文学座、俳優座、民藝)が研究生を募集したのです。

泰然自若としたイメージの希林さんですが、若い頃は人並みに、周囲と自分を比べ悩んでいたようです。

私が18歳のとき、行くところがなくて劇団「文学座」に入ったんです。

今もそうだけど劇団員なんて先が見えない仕事でしょ。まわりが銀行員になったり、大学に行ったりする。花が開くと思われた4月に自分はなにもない。

おまけにまわりの劇団員はみんなキレイ。「取り残された」っていう実感はそりゃあもうリアルでしたよ。

でも、いま考えればバッカみたいだけど(笑)。

(※不登校新聞2018/9/22「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」より)

そんな希林さんは、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に森繁久彌主演のテレビドラマ「七人の孫」(TBS)に出演し、人気を博します。

翌1965年(昭和40年)には文学座の正座員となったものの、1966年(昭和41年)に退団。

1970年(昭和45年)には「時間ですよ」、1974年(昭和)「寺内貫太郎一家」(いずれもTBS)と、テレビドラマの黎明期に個性派女優として躍進しました。

「時間ですよ」の樹木希林さん・森光子さん・堺正章さん

「時間ですよ」の樹木希林さん・森光子さん・堺正章さん
(画像出典)BS12ウェブサイト

タレントとしても、郷ひろみとのデュエットで、1977年に「お化けのロック」が40万枚、1978年に「林檎殺人事件」が30.7万枚の大ヒット。

1978年からはフジカラーのCM、1979年からはピップエレキバンのCMに出演し、特にフジカラーは40年にわたり出演を続けました。

富士フイルムスペシャルムービーの樹木希林さん

富士フイルムスペシャルムービーより
(画像出典)まんたんウェブ

 

● 樹木希林さん両親の「叱らない子育て」

樹木希林さんの飾らないお人柄と、我が道を歩む個性には、ご両親の影響が色濃く感じられます。

希林さんは、小さい頃ほとんどしゃべらず、友達もおらず、じーっと人影から他人を見ている子供だったそうです。

希林さんは生前、子どもの頃のこと、そしてご両親との思い出を、次のように語りました。

まわりと自分を比べて恥ずかしいだなんて思わない。おねしょだって恥ずかしいとは思ってなかった。

こういう価値観を持てたのはありがたかった。勝因とさえ言ってもいい。これはもう親の教育に尽きますね。親がえらかった。

思い返せば、うちの両親はとにかく叱らない親でした。「それはちがうでしょ」と言われた記憶がない。記憶にあるのは「あんたはたいしたもんだよ」と言われたこと。子どもってヘンなことを言うでしょ、ヘンなこともやるでしょ、それをいつも「たいしたもんだよ」と両親は笑ってる(笑)。

子どもを見ているヒマのない時代でしたが、ふり返ってみれば、それでもえらかったなと思うんです。

(※不登校新聞2018/9/22「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」より)

希林さんがすることにいつも「あんたはたいしたもんだよ」と声をかけるご両親。

私の両親も希林さんと同年代なのですが、この時代って「子どもを誉める」「身内を誉める」ことが珍しかった時代なのではないかと思います。

背景には、若い頃自分が産んだ2人の子どもを手放さざるを得ず、戦後の混乱期にたくましく商売を切り盛りしてきた母・清子さんの人生経験があるのかもしれません。

親が同調圧力など意に介さず、幼少期の子どもに、自分と周りを比べない価値観を与えるのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 

● 樹木希林さんの波乱万丈な結婚生活

女優として躍進し、ユニークな存在感で国民を楽しませていた樹木希林さん。

プライベートでは1964年(昭和39年)、希林さん21歳のときに、文学座同期の俳優・岸田森(きしだ・しん)さんと結婚しますが、1968年(昭和43年)に離婚。

「その幸せがあまりに息苦しくて離婚した」というものだったそうです・・・(※3)

その後、1973年(昭和48年)に、30歳でミュージシャンの内田裕也さんと再婚。

若い頃の内田裕也さんと樹木希林さん

若い頃の内田裕也さんと樹木希林さん
(画像出典)文春オンライン

しかし同居したのは1~2ヶ月で、妊娠中の希林さんが裕也さんを追い出し、その後約45年に及ぶ別居生活が始まります。

夫・内田裕也さんの破天荒ぶりは有名。

既婚のまま多数の女性とお付き合いしましたが、希林さんは「同時にいろいろな人が面倒見てくれて助かる」と、浮気相手たちへの感謝を述べていたとか・・・!(※4)

裕也さんの逮捕歴は3回にものぼります。大麻取締法違反銃刀法違反、そして最後は裕也さん71歳のとき、別れ話がもつれた50歳のスチュワーデスさんへの脅迫&住居不法侵入でお縄に・・・!!

1976年(昭和51年)、希林さん33歳のときに、一人娘の内田也哉子さんを出産

樹木希林さんの娘・内田也哉子さん

樹木希林さんの娘・内田也哉子さん
(画像出典)ORICON NEWS

その也哉子さんはご自身の両親について

「別れて暮らし、たまに会えば怒号とモノが飛び交う。包丁を持ち出すほどのケンカになっても離婚しない」(※5)

と描写しています。

裕也さんは1981年(昭和56年)、区役所に離婚届を提出しましたが、希林さんが無効の訴訟を起こし、弁護士に「あんなに嫌がっているんだから別れてあげなさいよ」と言われても承諾せず勝訴!!!

希林さんは、不登校経験者からのインタビューに答え、次のように語っています。

樹木:私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。

人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

(中略)

石井(※不登校新聞編集長)最後に自分の子どもが不登校やひきこもりだったら、(中略)親としてどう向き合えがいいのかについて教えてください。

樹木: (前略)夫は「不良になるのも勇気がいる」と言ってましたが、道を外すのも覚悟がいることです。親も子も今の環境や状況を選んだわけじゃないだろうし、そうならざるを得なかったのかもしれません。

でも、それはそれで親子ともどもいっしょにやっていこう、と。路上でもいっしょに生活しようという覚悟を私ならすると思うんです。

いっしょに住んでいる人はホントにたいへんだと思いますが、結局、親はその子の苦しみに寄り添うしかないです。言って治るようならとっくに治っています。

最初の話に戻りますが、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいのではないでしょうか。

(※不登校新聞2018/9/22「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」より)

私はこの記事を読んだとき、思わず涙ぐんでしまいました。

「難が有る存在は、自分が成熟するための存在だから、有難い」

希林さんと裕也さんのお二人は、希林さんが2018年9月に亡くなる最期まで、夫婦のまま。

そして希林さんの半年後の2019年3月、裕也さんは肺炎のため、79歳で逝去されました。

晩年の内田裕也さん

晩年の内田裕也さん
(画像出典)スポーツ報知ウェブサイト

※4:ORICON NEWS 2019/8/31「『破天荒な親を持ったからこそ』内田也哉子、母・希林さんの意志受け継ぐ“9月1日”への思い」

※5:内田也哉子 中野信子「なんで家族を続けるの?」(文春新書)より




2)樹木希林さんの生き方(1)娘をインターナショナルスクール・海外留学へ

実質シングルマザーとして、娘の也哉子さんを育てた希林さん。

幼少期からインターナショナルスクールに入学させ、各国への留学も経験させました。

 

● 樹木希林さんが娘に与えたグローバルな学歴

希林さんの娘・内田也哉子さんは、1歳半でインターナショナルスクールのプリスクールに入学。

その後、東京・港区の老舗校「西町インターナショナルスクール」に入学します。

9歳のときには、1年間単身でニューヨークに留学し、ホームステイを経験。

そして高校2年生のときには、スイス・ジュネーブに留学しました。

ジュネーブの高校を卒業した後は、パリやニューヨークで暮らし、帰国後19歳で本木雅弘さんと結婚します。

内田也哉子さんの生い立ちと出身校などについては、こちらの記事もご覧ください^^

【インター出身有名人】内田也哉子の生い立ちとグローバルな学歴~脳科学者中野信子との対談本から背景を探る~

 

● インター保護者としての樹木希林さん

西町インターナショナルスクール

(画像出典)wikipedia

さて、西町インターナショナルスクールの保護者の条件は「英語でコミュニケーションできる必要あり」。

はたして樹木希林さんは、英語ができたのでしょうか?

答えは「No」。

娘の内田也哉子さんは、次のように語っています。

母は送り迎えくらいはしてくれたでしょうけど、学校の行事のようなものには一回も顔を出しませんでしたね。

母は英語が分からないから、学校はあなただけの世界だと思いなさいって最初から言われました。

通信簿も英語だから、母は見もしない。私が自分でサインして先生に返したりしてましたよ。

(週刊文春 2021年5月27日号より)

樹木希林さんはインター保護者でしたが、学校行事に顔を出さず、英語の配布物もあまり見なかったようです。

 

● 樹木希林さんの子育て哲学「ひとりで生きていきなさい」と娘への影響

希林さんの我が子への教育は「ひとりで生きていきなさい」というものだったそうです。

娘の内田也哉子さんは、阿川佐和子さんとの対談で次のように語っています。

阿川:以前、希林さんの教育は「ひとりで生きていきなさい」教育だったとおっしゃっていましたね。

内田:そうですね。掃除でも料理でも、なんでも一度は教えてくれるんです。

でも二度目はない。ガミガミああしろこうしろって言ったりしないから、子供としても必死ですよね。

なんとか一回で覚えなきゃって母の言葉や動作をしっかり聞いて。お坊さんの修行というか、職人の修行というか……。

阿川:なぜそんなに子供と距離をおこうとなさったのかしら?

内田:勉強しろと言われたこともないし、門限を言い渡されたこともない。悩みをあえて聞かれた記憶もないですね。

だからちょっと不思議なんですよ。私たち親子はいったいどうやってコミュニケーションを取っていたんだろうって(笑)。

(※週刊文春 2021年5月27日号より)

樹木希林さんは、事務所に所属せずマネージャーも持たず、ご自身の女優業・タレント業を全てご自分でマネジメントされていました。

あれだけ売れっ子だった方ですから、とても忙しい毎日を送られていたと思います。

実質シングルマザーだった希林さん。

夫の裕也さんから一銭のお金も受け取ったことがないうえに、裕也さんの保険料や税金を払い続け、住まいも与えてきたのだそうです。

大女優として、さらに大黒柱としてお仕事に突き進まれる中で、也哉子さんの自立を促す子育てをされていたのかもしれません。

 

3)樹木希林さんの生き方(1)徹底したシンプルライフ(実は不動産女王)

樹木希林さんは、物をムダにしない生活について、数多くの名言を残しています。

 

●「物の冥利」を追求する、樹木希林さんの「買わない」「もらわない」「持たない」ライフスタイル

死後に出版された名言集「一切なりゆき 樹木希林のことば」では、次のように言っています。

若い頃は安物買いの銭失いだったんですよ。でも、モノがあるとモノに追いかけられます。

持たなければどれだけ頭がスッキリするか。片づけをする時間もあっという間。

そして娘の也哉子さんは、

  • 服も中学に上がるまで一度も買ってもらった記憶がないです
  • ハサミが家の中に1本しかない
  • おもちゃもないです

と、子ども時代を振り返っています。(※5)

洋服は、希林さんが周りの女優さんからいただいた「お下がり」を、肩上げをして着せられ、食器洗いにも洗剤を使っていなかった(家に洗剤がなかった)とか。(※6)

「物にも冥利がある」と口癖のように言っていた希林さん。(※5)

冥利とは仏教用語で「利益」「恩恵」という意味なので、「物の冥利」とは、物から与えられた恩恵を最後まで使い切るということですね。

靴下でもシャツでも、最後は掃除道具として、最後まで使い切る。

人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら。

(※2018年10月29日 読売新聞 全国版 朝刊(宝島社広告))

このように、希林さんが大事にしたのは、物の冥利を追求し、

  • 物を買わない
  • 物をもらわない
  • 物を持たない

というライフスタイルでした。

※5:内田也哉子 中野信子「なんで家族を続けるの?」(文春新書)より

※6:MOVIE Collection「本木雅弘と樹木希林が婿姑トークで2世帯住宅での私生活暴露」

 

● 樹木希林さんと食べ物~娘への食育~

また希林さんは、子育てにあたり「家のご飯を食べること」を大切にされていました。

石井(※不登校新聞編集長)樹木さんが親になられてからも「叱らない」というのは気をつけていましたか?

樹木:干渉はしなかったです。気にしていたのは食べることだけ。どんなにまずくても、そこらへんのものでは間に合わせず、自分たちでご飯を出していました。でも、それだけですね。

(※不登校新聞2018/9/22「樹木希林さん『難の多い人生は、ありがたい』」より)

人を頼まないでやるってことは大変ですよ。それが本当の子育てなんですよ。

へたへたになって帰っても、ご飯つくってやるということがね。これがなかったら、私、役者をやっててもしょうがないと思って、がんばっているんですけどね。

(役者よりも子育ての比重が)そりゃ大きいですよ。だから、役者やったときに、ひとつのせりふで胸に来るんですよ。

(※樹木希林著「一切なりゆき 樹木希林のことば」文春新書より)

食事の内容について、娘・内田也哉子さんは、「母は一汁一菜で玄米菜食」とおっしゃっています。

樹木希林さんの食事

樹木希林さんの食事
(画像出典)婦人画報ウェブサイト

玄米食は1970年代、独身時代から始められ、白米派の夫・内田裕也さんに「ロックンローラーが玄米食えるか!」と言われていたとか・・・(※7)

希林さんは食に関しても、手づくりであること、シンプルであること、本質的であることを徹底されていたようです。

※7:婦人画報2019年11月号「ありがとう、樹木希林さん 希林流 始末のいい暮らし【後編】」

 

● 樹木希林さんは、実は不動産女王

そんな質素倹約派の樹木希林さんですが、実は若い頃から不動産が趣味でした。

最初は21才で、東京・大田区に戸建住宅を購入。

そして亡くなる前には、都内に8軒もの不動産を所有していたそうです(※8)

  • 娘の也哉子さんを育てた地下1階、地上3階建の戸建住宅(1978年築/設計者・黒川哲郎)
  • 約400平米の土地に建つ2世帯バリアフリー対応の戸建住宅(2001年築)
  • 夫・内田裕也さんが住んだマンション
  • その他、戸建住宅3軒
  • その他、マンション2室
樹木希林さんの自宅

樹木希林さんの自宅
(画像出典)婦人画報ウェブサイト

・・・何ともすごい!メリハリあるお金の使い方に憧れます!!

※8:マネーポストWEB 2019/2/8「不動産女王だった樹木希林さんの家族を幸せにする相続術」




4)「物を買わない・もらわない・持たない」ミニマリスト生活が子供に与える影響は?

樹木希林さんの徹底したシンプルライフのもと育てられた娘・内田也哉子さん。

脳科学者・中野信子さんとの対談で、也哉子さんが中野さんに向かって

「教えてください。私の人生はこれでよかったんでしょうか」

と尋ねる場面が、とても印象に残りました・・・

中野さんによると、脳科学の観点からみると、「できるだけ物を持たず、少ない物を何通りもの用途に使う」ことは、創造性を伸ばすのだとか。

樹木希林さんの子育ては、創造性を育てるためにとても効果的な教育だと絶賛しています。

その話を聞いて、也哉子さんは、

そうなんですね。私の暗い過去がちょっとだけ報われた気がします。

でも、極端すぎるのも、やっぱりちょっとトラウマティックというか。

と答えました。(※5)

近年、「断捨離」「ミニマリスト」という言葉が流行り、物を持たない暮らしに脚光が当たっています。

物を持たないことでゴミが減りますし、エコロジカルで持続可能な暮らしは、子どもたちの将来のためにも大切なこと。

でも、子どもは無秩序で雑多な環境の中から、自分で選んで、考える力を育み、秩序や論理を身につけていきます。

親があまりにストイックにミニマリスト道を極めると、子どもが本来持っている躍動感、生き生きした学びを、抑制してしまうかもしれません。

  • 効率的でエコロジカルな「物を買わない・もらわない・持たないライフスタイル」
  • 多様性のある、雑多でリラックスした環境

この両軸の間で、バランスをとることが大事だと思います。

※5:内田也哉子 中野信子「なんで家族を続けるの?」(文春新書)より

 

5)樹木希林さんの生い立ちと子育て まとめ

戦時下の東京に生まれた樹木希林さんは、決して叱らない大らかなご両親のもとに育ち、文学座を経て、日本を代表する個性派女優へと成長されました。

夫・内田裕也さんとの間に一人娘の也哉子さんをもうけるも、夫の度重なる逮捕、次々入れ替わる恋人、夫婦の離婚裁判・・・

波乱万丈な中、也哉子さんをインターナショナルスクールに入れ、海外留学を経験させ、グローバルな学びと自立した生き方を促します。

また、「物を買わない・もらわない・持たない」生活を徹底し、也哉子さんに大きな影響を与えました。

2019年に裕也さんが亡くなられた際、也哉子さんが喪主を務められましたが、その弔辞がとても印象的です。

Fuckin’ Yuya Uchida.(内田裕也のくそったれ)

Don’t rest in peace.(安らかに眠るな)

Just Rock’n Roll!!!(ただ、ロックンロールしろ!!!)

※全文はこちら(スポニチアネックス 2021年6月3日記事)に掲載。

父・内田裕也さんの葬儀で弔辞を述べる内田也哉子さん

(画像出典)デイリースポーツウェブサイト

弔辞全文の、ご両親に対する複雑な気持ちを表現する言葉の選び方が素晴らしくて、感動しました。

あまりに才能があるご両親に振り回されながらも、幼いときから多様性豊かな環境で、たくさん自分で考えて過ごされたからこそ、娘の也哉子さんは、このような素敵な個性を育まれたんだなあと思います。

6)樹木希林さんの映画代表作を無料で見る

最晩年の代表作であるカンヌ映画祭受賞作品「万引き家族」と、遺作となった「命みじかし、恋せよ乙女」をご紹介します。(U-NEXTで完全無料で見られます)

 

● 是枝裕和監督「万引き家族」2018年(上映時間120分)

第71回カンヌ国際映画祭で「万引き家族」がパルム・ドール賞を受賞!

万引き家族

(画像出典)amazon.co.jp

犯罪でしか繋がることができなかった、家族のつながりと社会の歪みを描いた、衝撃の感動作です。樹木希林さんは主役家族の祖母・初枝として出演しています。

<あらすじ>
治(リリー・フランキー)たち家族5人は祖母(樹木希林)の年金を頼りに、足りないものは万引きで賄いながらも、笑いの絶えない日々を送っていた。ある冬の夜、治と息子・祥太(城桧吏)は近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆり(佐々木みゆ)を見つけ、家に連れ帰る。治たちは傷だらけのゆりを娘として育て始めるが・・・

<出演>
リリー・フランキー 安藤サクラ 松岡茉優 城桧吏 佐々木みゆ 樹木希林 ほか

<音楽>
細野晴臣

<メモ>
是枝監督が、「脚本を渡さず、口頭でせりふを伝える」演出法により、印象的な演技を引き出しています。

★無料視聴はこちら。U-NEXT(31日間無料)で「万引き家族」が2021年9月20日まで無料見放題になっています。

★PG12作品です。小学生以下のお子様が視聴する際、保護者の助言・指導が必要。鑑賞する際にはなるべく保護者同伴がおすすめ(小学生以下のお子様にとっては不適切な表現が一部含まれています)

 

● ドーリス・デリエ監督「命みじかし、恋せよ乙女」2018年(上映時間117分)

「命みじかし、恋せよ乙女」の舞台はドイツ・ミュンヘン!樹木希林さんの遺作にして世界デビュー作です。

命みじかし恋せよ乙女

(画像出典)amazon.co.jp

<あらすじ>
酒に溺れ仕事も家族も失ったカールのもとへ、ユウと名乗る日本人女性が訪ねてくる。風変わりな彼女と過ごすうちに、カールは人生を見つめ直し始めるが、その矢先、彼女はこつ然と姿を消す。カールはユウを捜し、日本を訪れるが・・・

<出演>
ゴロ・オイラー 入月絢 フェリックス・アイトナー フロリアン・ダニエル 樹木希林 ほか

<メモ>
希林さんは、茅ヶ崎の老舗旅館の老女将を演じています。女将の優しくさりげない言葉が、深く心に残ります。

★無料視聴はこちら。U-NEXT(31日間無料)で「命みじかし、恋せよ乙女」は無料見放題対象作品になっています。

★G作品です。誰でも鑑賞可能で鑑賞に制限はありません。ストーリーや言葉に暴力的な表現やショックを感じるようなものが最小限にとどめられています。

 

以上、樹木希林さんの生い立ち・子育てを紐解き、代表作をご紹介しました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました^^

<参考文献>