内田也哉子の若い頃の留学歴~脳科学者・中野信子との対談から生い立ちの背景を探る

内田也哉子さん

(画像出典)毎日放送ウェブサイト

エッセイストの内田也哉子(ややこ)さんは、女優・樹木希林さんとミュージシャン・内田裕也さんの一人娘。

夫は俳優の本木雅弘さんという芸能一家で、本木さんとの間に3人のお子さんをもうけられています。

母・樹木希林さんにより独創的な教育を受けた也哉子さん。

幼少時に東京の西町インターナショナルスクールに入学し、9歳のときにはアメリカ・ニューヨークへ単身留学、高校時代にもスイス・ジュネーブへ留学されました。

帰国し、本木雅弘さんとご結婚した後は、エッセイスト・翻訳家・女優として活動され、下記の映画にも出演されています。

  • 東京日和(1997年)
  • 東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~(2007年) ※第31回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞
  • イートリップ(2009年) ※娘の内田伽羅さんも出演
  • わが母の記(2012年)

このブログ記事では、也哉子さんと中野信子さん(脳科学者)との対談本などから、

  • 内田也哉子さんが通った国内外の学校のこと
  • 内田也哉子さんがインターナショナルスクールに入学した理由
  • 子供の留学適齢期についての考察

などについて書いてみたいと思います。

内田也哉子の小学校は西町インターナショナルスクール

内田也哉子さん

(画像出典)AERA.dot

内田也哉子さんは1976年2月11日、東京都生まれ(2024年で48歳)

 

両親である樹木希林さんと内田裕也さんは、結婚後すぐに別居してしまいました。

そのため也哉子さんは、父親と一緒に過ごした時間は生涯合計で数十時間であり、母子家庭で育ったと、対談(※)で語っています。

2021/4/17 内田也哉子×中野信子トークイベント  より

 

西町インターナショナルスクールとは

西町インターナショナルスクール

(画像出典)wikipedia

内田也哉子さんは、東京・港区にある老舗校「西町インターナショナルスクール」に入学します。

西町インターナショナルスクールは、戦後間もない1949年(昭和24年)に設立された学校です。

全ての授業が英語で行われると同時に、全ての児童生徒に対し日本語の授業も行われます。

カリキュラムは、アメリカの教育基準(NGSS、Common Core、AEROなど)に沿って組み立てられています。

  • 所在地:東京都港区元麻布2-14-7
  • 設立年:1949年(昭和24年)
  • 児童生徒数:約470名
  • 外国籍割合:約50%
  • 卒業した有名人
関根麻里 タレント
藤島ジュリー景子 ジャニーズ事務所代表取締役社長
内田也哉子 エッセイスト
内田雅樂(UTA) 内田也哉子・本木雅弘夫妻の長男。モデル

 

  • 資格認定:WASC・CIC
  • 開講学年:幼稚園~中学校(5歳~9年生)
  • 子どもに必要な英語力:各学年の授業についていける英語力が必要
  • 保護者に必要な英語力:全てのやりとりは英語で行われるので、保護者のうち1人は英語でコミュニケーションできる必要あり

 

  • 学費(2021-2022年)
初年度のみ必要な費用 入学金 300,000円
施設維持費 750,000円
合計 1,050,000円
毎年必要な費用 授業料 2,440,000円
教育拡充費 200,000円
学校基金 200,000円
合計 2,840,000円

 

西町インターナショナルスクールの創設者は、松方種子という女性です。

西町インターナショナルスクール創設者・松方種子

(画像出典)港区立図書館ウェブサイト

第6代総理大臣・松方正義の孫娘であり、実姉(松方ハル)はライシャワー駐日アメリカ合衆国大使の夫人でした。

松方種子の母・美代は、子どもたちに国際的な教育を受けさせたいと、アメリカ人の家庭教師を雇い、自宅で英語塾を開いていました。

そして種子はアメリカに留学し、プリンシピア高校・大学を卒業し、コロンビア大学大学院図書館学専攻修士課程を修了。

アメリカで17年過ごして戦後に帰国。日本の戦後復興のために教育が重要な役割を果たすと考え、松岡家の邸宅を校舎に、英語や多文化性を重視した教育を始めたのだそうです。

西町インターナショナルスクールの校舎の一部には、東京都選定の歴史的建造物「松方ハウス」が使われています。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の松方ハウス

ヴォーリズ設計の「松方ハウス」
(写真出典)港区ウェブサイト

この松方ハウスは、種子の両親である松方正熊(松方正義の六男)の私邸として、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で1921年(大正10年)に建造。

第二次世界大戦中に松方家が疎開したことから、スウェーデン公使館に貸し出され、その後にルーマニア大使館やベネズエラ大使館としても利用されました。

1965年(昭和40年)に松方家に返還され、西町スクールの校舎として使われるように。

かつては教室としても使われていましたが、2009年に耐震補強工事を行い、現在は本館(校長室や管理部門オフィス)・事務棟になっているそうです。

※松方種子について詳しくはこちら(港区立図書館ウェブサイト)

 

内田也哉子が西町インターナショナルスクールに入学した理由

内田也哉子さんがインターに入学したのは、ご両親が離婚裁判をしているときでした。

家の近所にある私立の幼稚園に入れようとしたら、「芸能人でしょっちゅう騒がれている人の子は預かれない」と言われてしまったのだそうです。

そこで、外国人が多く、日本の芸能界に興味がない人が多いであろうインターを選ばれたとのこと。

「英才教育でもなんでもなく、匿名性を求めて入ったんです」とは也哉子さんの弁。(※)

型破りなご両親を、マスコミが追い回す日々・・・

とりわけ、樹木希林さんの夫で也哉子さんの父・内田裕也さんは、なんと逮捕歴3回!

晩年の内田裕也さん

晩年の内田裕也さん
(画像出典)スポーツ報知ウェブサイト

少し長くなりますが、也哉子さんの著書から引用しますと・・・

(前略)逮捕歴は三回に上る。一回目は大麻取締法違反。マリファナは十年前からやっているが決して攻撃的にならない、アルコールよりも健康的だと言ってのけた。

二回目は銃刀法違反。自ら話をつけたローリングストーンズのコンサートの開催を邪魔する音楽事務所に抗議せんと、刃物を持って乗り込んだ。

そして三回目は強要未遂と住居侵入だ。別れ話のもつれから女性宅に脅迫文を投函、カギを勝手に付け替えて入り込んだ。このときは留置所でつけられた番号が69(ロック)だったことを喜ぶ始末だ。

内田也哉子 中野信子著「なんで家族を続けるの?」文春新書より)

・・・唖然としちゃいますよね。

こんな超・型破りなお父さんがいたら、一般の幼稚園・小学校では噂の的になって居心地が悪いことでしょう。

日本の芸能界のことを知らない人が多いから、のびのびと学ぶことができる。

これが、芸能人のお子さんがインターに多い理由の1つでしょうね。

樹木希林, 内田也哉子『9月1日 母からのバトン』, ポプラ社, 2019 より

 

内田也哉子は9歳でニューヨーク留学、高2でスイス留学

小さい頃から、自分で通信簿にサインして学校に提出していた也哉子さん。

母の希林さんは、わが子をさらに自立の道へと押し出していきます。

 

9歳でニューヨーク留学。母・樹木希林に「捨てられたと思った」

内田也哉子さんは、9歳で単身、1年間ニューヨークへ留学。

ちょうどその頃、樹木希林さんがドラマの仕事でとても忙しくされており、インターの校長先生が気遣われたのか・・・

ある日、校長先生が也哉子さんに「也哉子、兄弟欲しい?私の弟の家族がニューヨークに住んでいるから、そこに行ったらどう?」とおっしゃられたのだそうです。(※)

そして、希林さんとともにニューヨークへ渡航した也哉子さん。

内田:(前略)ホームステイ先はニューヨークの田舎町だったんですけど、行きは母も一緒だったんですね。

ホストファミリーにご挨拶して、そこの子供たちと近所に遊びに行って、戻ってきたらもう母はいなくて。

阿川:エッ!?也哉子元気でね、とかお別れの儀式は……?

内田:全くない。これは捨てられたなと思いました。

(週刊文春 2021年5月27日号より)

異国の地で、さっきまで一緒にいたお母さんがもういない!

これは子ども心にビックリしますね・・・

留学中の1年間、希林さんは随分心配はしていたそうですが、也哉子さんへの手紙はほとんど出さなかったそうです。(※)

晩年の樹木希林さん

(画像出典)毎日新聞2018/9/16

そして、1年間の留学生活を終えてニューヨークから帰国したとき、也哉子さんは日本語が少し不自由だったとのこと。

(前略)留学から帰ってきたら、子供の私は日本語がちょっと不自由になってたんですけど、母は私に歩み寄るような気配はまるでないんです。

英語でコミュニケーションしようっていう気がないから、帰ってきてしばらくはヘレン・ケラーとサリバン先生みたいに手話のようにコミュニケーションしてました。

(週刊文春 2021年5月27日号より)

也哉子さんはそんな母・希林さんに対し、「やっぱりお互い違う世界を生きてるんだな」という感覚を強く持っていたそうです。

※:内田也哉子, 志村季世恵『親と子が育てられるとき Quiet Garden』岩波書店, 2002, より

 

内田也哉子の公立小でのいじめ体験

内田也哉子さんは、小学校6年生の数ヶ月間、地元の公立小学校に通いました。

インターで6年生が終わるとなったときに、「日本の学校に行ってみたい」と思ったのだそうです。

そこで母の樹木希林さんが近所の公立に登録したのですが、当時はまだインターが無認可だったため、教育委員会から「義務教育を放棄したことになっている」と言われ・・・

なんと窓口で「1年生からやり直してください」と言われてしまったそうですが、最終的に地元公立校に転入できたそうです。(※1)

しかし、転入先のクラスで孤立してしまい、友達ができないまま数ヶ月が経ち、毎日泣いて家に帰っていました。

希林さんは「やめればいいじゃない」と言いましたが、也哉子さんは卒業まであと数ヶ月と自分を奮起させ、学校に通い続けたそうです。

そして「嫌ならインターナショナルスクールを受け直そう」という気持ちで、地元の公立中学校(目黒区立第一中学校)に入学。

すると、小学校時代に也哉子さんをいじめていた女子が、「名前、なんていうの?」と声をかけてきて、それをきっかけに仲よくなったのだとか。(※2)

結果、インターを受け直すことなく3年間公立中学校に通い、その後は都立城南高校に進学しました。(都立城南高校は2004年に閉校)

※1:樹木希林, 内田也哉子『9月1日 母からのバトン』, ポプラ社, 2019, より

※2:毎日小学生新聞 2019/8/30「社会 内田也哉子さん 樹木希林さんと母娘で共著(その2止)母から教わったこと」より

 

高2でスイス留学し、卒業式に内田裕也・樹木希林が参列!

内田也哉子さんは、日本の公立中高に通いましたが、「それからまたむしょうに海外に行きたくなって(※1)」、高校2年のときスイス・ジュネーブのインターナショナルスクールに留学し、アートを専攻しました。

卒業式には、別居中の両親・内田裕也さんと樹木希林さんが揃って参列したそうです!

そのときに家族3人でジュネーブ・パリ・ベニスを旅したのが、「最初で最後の家族旅行」なのだとか。

しかし、そのときにも事件が勃発!

フランスのレストランで、内田ファミリーが入口付近の席に案内され、裕也さんが「お前は馬鹿にしているのか日本人を!」と激怒してしまったのだそうです。

也哉子さんが泣きながら通訳をして、その場を収めたとのこと。(※2)

ジュネーブの高校を卒業した後、也哉子さんはフランスの大学へ進学しますが、希林さんの「先に結婚して子育てすれば?」という言葉が後押しになり、1学期で休学して帰国。(※3)

そして19歳で、10歳年上の本木雅弘さんと結婚するのです。

本木雅弘さんと内田也哉子さんの結婚式

(画像出典)週刊女性PRIMEウェブサイト

※1:内田也哉子, 志村季世恵『親と子が育てられるとき Quiet Garden』岩波書店, 2002, より

※2:スポニチアネックス  2021年5月9日「内田也哉子さん『最初で最後』の家族旅行を回顧、父・裕也さんの怒りの爆弾に『私が泣きながら収めて…』」より

※3:樹木希林 内田也哉子『9月1日 母からのバトン』, ポプラ社, 2019, より

子供の留学適齢期はいつ?~内田也哉子・中野信子の対談本から~

内田也哉子さんは、幼くして海外へ単身留学させられた経験を、次のように振り返っています。

内田:私自身も九歳でアメリカの学校に飛ばされています(笑)。日本にいたときもよく親戚や知り合いの家に預けられていたので、いろいろな家庭に育てられていたようなものですね。

そうするとまず、子どもながら遠慮を覚える。そして、この家のお父さん、お母さんはどういう価値観なのかとか、子どもたちがどういうキャラクターなのかとわかってくる。

それを母は「いちばんの社会勉強」と言っていたけど、私は自分の居場所がないように感じて、今思うと不安を抱えた子どもでした。

中野:(中略)いろいろな価値観の中でもまれるということは、知能を伸ばすにはいいとされています。

でも、愛着の観点から見ると、人間関係を回避しがちになったり、逆に、この人はと思ったらしがみついてしまったりするようにもなるジレンマがあるんですよ。

内田:だから養育者というのは、それは親ではなくてもいいんだけれど、あまり何人も変わるということではないほうがいいのでしょうね。

中野:特定の養育者がいる、ということが大事だと考えられていますね。

(内田也哉子 中野信子著「なんで家族を続けるの?」文春新書より)

内田也哉子さんは、幼い頃から親戚や知り合いの家に預けられたり、留学させられたりすることで、自分の居場所がないという不安を抱えていたようです。

幼いときから単身留学などを経験し、いろいろな価値観にもまれることは、脳科学から見ると、知能を伸ばすのには効果的。

でも、親ではなくてもいいから、特定の養育者がいた方が、愛着(情緒的な結びつき)が得られて安心できるということですね。

もちろん、内田也哉子さん・樹木希林さん親子は、たぐいまれな才能のある芸能一家。個性も経済力もずば抜けているので、一般家庭と並べることはできませんが・・・

  • 幼いときから異なるコミュニティに身を投じて社会勉強させること
  • 特定の養育者との間に愛着を育むこと

この両者のバランスが大切ということかもしれません。

 

まとめ

内田也哉子さんは、幼少時に西町インターナショナルスクールに入学し、9歳で1年間のニューヨーク単身留学を経験。

帰国後は日本の公立小中高で学び、高校2年生でスイス・ジュネーブの高校に留学しました。

英語育児母の私としては、インターで語学の素地を身につけ、小学校のうちに海外留学を経験し、高校でも再度留学なんて、本当にうらやましい!

こうした背景があるからこそ、個性的なエッセイスト・翻訳家として活躍する今の也哉子さんがあるんだなあと思います。

一方、脳科学者の中野信子さんとの対談は、英語子育て、特に子どもの頃の留学を考えるにあたり、示唆に富むものでした。

「子どもの頭と心が柔らかいうちに、海外経験をさせたい!」という気持ちを持つ親御さんは、少なくないと思います。(私もその一人で、かなり強引に子連れ渡英しました…)

でも、幼少期に単身で長期留学をさせるのは、子どもの心に「居場所がない」という不安感を与えてしまうのかもしれません。

幼少期はまず、特定の保護者が子どもに対して「あなたの居場所はここだよ」という安心感を与え、一定期間以上の留学は、子どもの自立心が芽生えてからの方がいいのかもしれませんね。

<参考文献>

 

<関連記事はコチラ↓↓↓>

樹木希林の娘子育て中の仰天エピソード~内田也哉子は9歳で単身NY留学

内田伽羅(本木雅弘の娘)の留学歴~英国ダウンハウススクールから名門ザ・ナインを経てNYへ

ボーディングスクールと芸能人|内田雅樂(UTA)はルロゼ学院出身。学費世界一で有名人の子ども多数。日本人出身者も紹介